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宇都宮家庭裁判所 昭和48年(少)803号 決定

少年 D・E子(昭三二・三・二四生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

I  非行事実

少年は、

一  昭和四八年四月中旬の午後一一時ごろ、宇郡宮市○町×丁目××××番地消防第×分団詰所通りにおいて通行中の○井○男に対し、売春の目的で「おにいさん遊ばない。五、〇〇〇円でいいわ」と申し向け、公衆の目に触れる方法で勧誘し、自宅六畳間において現金五、〇〇〇円を受取り性交し

二  同年五月中旬の午後一一時ごろ、前記場所において前同人に対し売春の目的で「遊んでよ。五、〇〇〇円でいいわ」と申し向け、公衆の目に触れる方法で勧誘し、自宅六畳間において現金五、〇〇〇円を受取り性交し

三  同年六月二日午後一〇時ごろ。前記消防第×分団詰所東側路上において同所を自動車で通行中の○沢○之に対し、売春をする目的で「遊ばない、六枚よ」等と申し向け、公衆の目に触れる方法で勧誘し自宅六畳間において現金六、〇〇〇円を受取り性交し

四  同年七月五日午後九時一五分ごろ。同市同町×丁目××××番地○○印刷所前路上において、通行中の○井○吉がチャイナタウンへ行く道をきいたところ同人に対し「時間はまだ早いしそれだけ使うなら遊ばない、六、〇〇〇円でいいわ。場所はこつちよ」等と申し向け、同人に自己の身体をすり寄せ肩を並べるなどし、もつて公衆の目に触れるような方法で売春の相手方となるように勧誘し

たものである。

II  適条

全部の事実につき、売春防止法第五条第一号。

III  犯行迄の経緯

少年の実父D・K(大正七年五月二九日生)は本籍地において僅かな面積(水田九畝)の農地を耕作したり等して生活していたが病気勝ちで昭和四五年四月二四日死亡した。

少年の実母D・Y子(大正一四年五月二八日生)は先夫K・Iとの間の長女K・A子(昭和二四年一一月二四日生)をつれてD・Kのもとに嫁したのは昭和三〇年頃であつたがD・Kの死後は上記の農地を売り払い(代金五〇万円)これを生活費等にあてつつ内職などをしながら少年とその妹D・D子(昭和三五年一月二日生)を養育していた。そして昭和四六年秋頃D・Y子は偶然知り合つたD・O(四一歳位)と懇になり、やがてこれと内縁関係を結ぶようになつた。そして同人にすすめられるまま家屋敷を売り払い一家を挙げて埼玉県大宮市に転居しD・Y子は同市内のトルコ風呂に従業員として稼働したが予期した程の収入にならないところから、D・Oの知人のいる宇都宮市に再度転居することとなり昭和四七年五月初旬一家は同市○○○町に移転した。その頃からD・Y子はD・Oの指示によつて同市内において街娼となつた。そしてそれから間もなくD・Oは少年をも街娼として稼がせようと企図し少年に対し売春婦としての予備知識を授け同年七月頃より同市○○○町界隈において街娼として母ともども売淫せしめこれに客を取らせるに至つたものである。

少年は大宮市市立○○中学において義務教育を終了しているが知能指数(I、Q)は五九乃至六一で軽愚域に属している。

なお少年はトリコモナス膣炎に罹患しており性病についても罹患の疑がある。

IV  処遇

少年の置かれた環境は上記のように背徳的なものであり、保護者は保護能力を欠いていると言うよりもむしろ保護者としての資格を有しないのみならず少年に対し違法な行為を強制していたとも言いうるものであつて、このような環境から少年を早急に離脱させ隔離しかつまた規律のある生活に誘導し道義人倫に対する正しい認識を与えることが必要である。

少年は現在自己の行為の如何なるものかについて誤つた認識しか有していないかのようである。享楽的遊蕩的な生活環境に没入しその行為が如何に非倫なものであるかということに気付いていない。それ故、この際矯正施設に収容して心身の正常な在り方を教導しつつ規律ある生活に馴致し併せて道義人倫に対する自覚を持たせることが必要と思料せられる。

それ故少年法第二四条一項第三号少年審判規則第三七条第一項を適用し主文のとおり決定する。

(裁判官 藤本孝夫)

少年保護者に対する児童福祉法違反被告事件の判決(宇都宮家裁 昭四八(少イ)一号 昭四八・九・二二判決)

被告人 D・O(昭七・二・一二生)

D・Y子(大一四・五・二八生)

主文

被告人D・Oを懲役三年に、

同D・Y子は懲役一年六月に、

各処する。

理由

(犯行までの経緯)

被告人D・Oは兵庫県揖保郡○○町に生れ幼時母の妹○井○つ○方に養子となり小学校を卒えて実父の土木の仕事を手伝つたり鉄工業の下働等をするうち昭和二五年(被告人一八歳)ごろから無銭飲食・住居侵入・強盗致傷などの罪を犯かし前科をかさね同四六年三月七日前刑(窃盗・業務上過失傷害・道路交通法違反により懲役三年六月罰金五、〇〇〇円)にて仮出獄となつたもの、被告人D・Y子は兵庫県竜野市揖西町○○の農家の長女として成長し、二〇歳のころ神戸市内で○海某と結婚したが夫の親との折合が悪く約二箇月で別れ二三歳ころK・Iと再婚しK・A子(現在二六歳)という娘を儲けたが右K・Iとも離婚しそれから約五年後(二九歳ころ)竜野市内でD・Kと結婚し、D・E子(昭和三二年三月二四日生)、D・D子(同三五年一月二日生)の両女を儲けたがD・Kは同四五年四月二四日明石市内において病死した、その後D・Y子は手袋の内職をしたり古材商の手伝等をして一家の生計を支えていた。同四六年一〇月ころ、D・Oは当時D・Y子の働いていた古材商のもとに遊びがてらに赴き、D・Y子と知り合い間もなく情を通ずるに至りD・OはD・Y子のもとに入籍して夫婦となつた。そして両名はその前歴を知られている本籍地界隈を出奔し他郷に赴いて自由な生活をしたいという気持から両名は、相談のうえ、D・Y子の先夫D・Kの遺産(田畑)を他人に売却しこれを費用に充てて同四二年秋ごろ前記D・E子とD・D子の両児を連れてD・Oのすすめで埼玉県大宮市○○○○に引越したのであるが、D・Oは定職なくD・Y子を大宮市内のトルコ風呂に稼働させたが思うような収入にならないところからD・Y子は大宮市内などで屡々街娼となつたこともあつたが同女は年輩であるところから左程の収入を挙げるに至らない状態であつた。

左様な折柄、被告人D・Oは知人が宇都宮市内に居住するのを想起し同市に移り何とか収入を挙げようと考え同四七年五月初旬ころ一家を挙げて宇都宮市○○町に移転した。

当初暫らくは○○○町所在の○橋という按摩の家に間借りし同年六月初旬からは同市○○町××××番地に一戸を借り受けそこに居住した。

そしてD・Y子は同市○○○町界隈において夜間街娼として収入を得、これによつて、家族全部が生活していたが、同女は既に四六歳にもなつているため予期した程の収入にならないところから、同四七年春ころ、夫妻は相謀つて娘のD・E子(当時中学校卒業直後)をも街娼として稼働させるに至つたものである。

(罪となるべき事実)

被告人両名は共謀のうえ、昭和四八年四月中旬から同年六月二日ころまでの間別紙(編略)犯行表記載のとおり宇都宮市○○町××××番地の当時の被告人両名の居宅においてD・E子(昭和三二年三月二四日生)が一八歳に満たない児童であることを承知しながら前後四回にわたり同人をして不特定の客である○○○○ほか二名を相手方としてそれぞれ対償を得て性交させ、もつて児童に淫行をさせたものである。

(情状)

被告人D・Oは同D・Y子と結婚以来定職についた模様は全然ないこと、また本件認定の犯行以前である昭和四七年六月以来D・E子とD・Y子との両名を街娼として稼働させこれによつて得た金員の大半は競馬、競輪などの遊興費や自動車(新車)の購入などに充当せられていること、右自動車を平素継続的に無免許運転していたこと、中学校卒業直後のD・E子に対し性行為や売春の手段方法を具体的に教え込んでいること、D・E子と「D・D子」(昭和三五年一月二日生)の腕にいずれも被告人D・Oの名前を入墨していること、年齢僅かに一二歳になつたばかりであり且継親子関係とはいえ妻D・Y子の連れ子で同居している「D・D子」に「D・M子」(昭和四八年二月八日生)という女児を産ませていることなど背徳的な点が極めて多い。

(被告人D・Oの累犯前科)

同被告人は昭和四二年一一月三〇日神戸地方裁判所姫路支部において窃盗・業務上過失傷害・道路交通法違反によつて懲役三年六月および罰金五、一〇〇円に処せられ当時右の刑の執行を受け同年四五年一二月八日仮出獄により出所同四六年三月七日期間終了により右の刑を受け終つたものである。

(証拠の標目) 編略。

(法令の適用)

被告人両名の本件各所為は児童福祉法第三四条第一項第六号第六〇条第一項刑法第六〇条(情状によりいずれも懲役刑選択)にそれぞれ該当するが、被告人D・Oについては前示累犯前科があるので刑法第五六条第一項第五七条により累犯如重をした刑期の範囲内で懲役三年に、同D・Y子については所定刑期の範囲内で懲役一年六月に各処する。

訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項によりその全部を両名に対し免除する。

よつて主文のとおり判決する。

裁判官 藤本孝夫

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